大雨の日の映画鑑賞

土曜日。朝から散々降ったり止んだりのお天気。風はあまり強くないが、台風の前のようなお天気。当然家の中にこもって半分寝て居た。週末から出張で仕事が詰まっている夫は、映画の「海獣の子供」を観に行く時間が取れないことと、内容が難解であるとの映画評を目にして悩んでいた。

先日この映画を観て絶賛していた従姉妹のレビューを私が読み上げたところ、意を決した夫は映画のために無理矢理時間を作ることにしたらしく、気圧のせいで耳鳴りとめまい、立っていられないだるさに寝ていた私に「何分あったらしたくできる?」と聞いた。
車に乗せて貰って、行って座っているだけだから、お洒落する必要も無い。「15分」と答えて梅雨冷えの身体に何枚も重ね着して大急ぎで出かける。

ネットでチケットを取ったけれど、突然決めたから、間に合わないかも?と焦るも混んだ道路を上手くすり抜けてシアターに直行。予告編や館内での注意でかなり時間が取られるからそんなに心配していなかったが、案の定他の映画の予告を3つくらい見て、余裕で開演を待つ。ドリンクは無し。喉が乾くのでガムだけ口に入れる。

今日観に来たのは「海獣の子供」
夫も予告を見たた時から行こうと思っていたらしいが、難解だと言う意見と仕事の詰まり具合で悩んでいた作品。夫に、アート系の仕事を東京でしている私の従姉妹のfacebookでの絶賛レビューを朗読(笑)した所、決意を固めて鑑賞決行となった。

ストーリーやテーマはともかく、映像の美しさに圧倒され、海に自分が飲み込まれ、水の中に入って美しい海中を泳ぐような感覚に。
そして命循環が地球だけではなく宇宙にまで及び、星々の記憶のカケラが次の命に引き継がれて行く様子に息を飲んだ。人間は大宇宙の中の一つの生物の種に過ぎず、どんなに研究が進んでも、私たちに見えているものは自然の、宇宙のごく一部であり、それはほぼ見えていないも同じこと。生き物は同じ物質からできていて、そこに個体差はあっても究極は同じものだと感じる。そこにあるのは光…個体としては終わりを迎える「命」で、その光は見つけて欲しいと言う切ないシグナルなのだと思うと、人間の傲慢さで他の生物や環境のあれこれを利用したりコントロールしようとする愚かしさを感じた。
海の祭りのシーンで、自分がこれまで読んできた宮沢賢治の作品、堀文子の絵画、ジブリや手塚治虫のアニメなどが幾たびも心の奥から浮かび上がるのを感じた。

五十嵐さんのコミックは『魔女』と『リトル・フォレスト』しか読んでいないが、独特のタッチの絵がどうアニメ映画になるのだろうと思ったが、これが物凄く良かった。

とにかくテーマ性よりもビジュアル重視と言われている五十嵐さんの原作から、よりビジュアルで言葉にならないものを感じさせる圧倒的映像美に浸ったと思う。これは映画館のスクリーンで観て正解。素晴らしい。

ちょうどいいしあわせを探して

日々、自分にちょうどいいしあわせを感じることや物、ちょっと楽しい、面白い体験を探して紹介します。

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